mixiに登録しました。
メリットとして共通の趣味の新しい友達が出来る。そして、友達の友達を紹介してもらうなどして、友達の輪が広がるというものである。
インターネットを触媒に人との新しい出会いが簡単になってきました。
今から20数年前の日本でも、不特定多数の人とのコミニュケーション方法としてパーソナル無線なるものが登場しました。
元々は、高出力の違法CB無線対策に発売されたと思うのですが実際は、若者達がこぞって購入しました。(*注、田舎の話です)
当時を振り返ってみます。
うる覚えの事もありますので間違っていたらごめんなさい。
無線機本体は、普通の電気屋で売っていました。
無線機の種類も音響メーカーを中心に沢山ありました。
ダンプの運転手をしていた友人に「面白いよ、お前も付けたら」と進められて購入を決めました。
私が買ったのは、クラリオンの無線機でした。
当時で15万ぐらいしたような気がします。
パーソナル無線は、免許は要らず無線局開設の申請だけでOKでした。
出力は5Wで、見通しがよければ10Kmぐらいは交信が出来ました。
(ここからは、所々無線用語が含まれます)
逢った事の無い人達との交信します。此処でもニックネームで呼び合います。私のニックネームは、「○番街のジゴロ」と名乗っていました。今考えると非常に恥かしいです。
女の子との交信は必死です。なんとかダイレクトが取れても早く行かないとタヌキの連中が先に行ってしまう可能性もあります。
行ってみると知り合いのダンプの運転手のバッテンさんだったりという事もありました。
車載アンテナも少しでも電波が届くように長いものに変えました。
ラブホテルの駐車場の前で、外すのが面倒でした(笑
車載だけでは、飽き足らず自宅にもアンテナをあげました。屋根の上に5mのポールを立てました。家人は呆れています。
気の合う仲間が集まりグループが出来てきます。時々オフ会が行われていました。そこでまた新たな友人との出会いが出来ています。
相変らずニックネームでの呼び合いで居酒屋で「ジゴロさん!こっちですよ!」などと大きな声で言われると参ります。
そのうちに友好グループとの交流会があったり、反目するグループが出来たりとしました。
中にはCB無線の流れをくむ、暴○団系のグループも目立ちました。
ステッカーを作り販売、月会費を収集してトラブル時にはバックアップするということです。
数年でこのパーソナル無線ブームは終焉を迎えました。
あの当時の仲間達は、どうしているのかなとふと思い出しました。
「カコ チェック!」
・・・・・・
「カコ おかぶりあるようでしたら御一報下さい。○○連合 啼きの龍さん スライドから泣き別れ。宜しくでした。花の街上空の妾号スベリ線 三番星さんランデブーのコマーシャル移動中」
「マニラ丸さん そろそろ耳が悪くなってきました。しょぼくなるまでにサヨナラです。セブンツースリー」